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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14388号 判決

主文

一  被告東京都は、原告に対し、二〇万円及びこれに対する昭和五七年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告東京都に対するその余の請求及び被告乙山春夫に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告東京都に生じた費用は、これを三〇分し、その一を被告東京都の負担とし、その余を原告の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告乙山春夫に生じた費用は、原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告らは、各自、原告に対し、六〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、公務執行妨害及び傷害事件の被疑者として勾留されていた原告が、警視庁公安第一課に所属する警察官であった被告乙山春夫(以下「被告乙山」という。)から暴行を受けて傷害を負ったと主張して、被告ら各自に対し、被告東京都に対しては国家賠償法一条一項に基づき、被告乙山に対しては不法行為(民法七〇九条)に基づき、慰藉料五〇〇万円及び弁護士費用一〇〇万円並びにこれらに対する不法行為の日である昭和五七年一〇月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

二  争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実

次の事実は、当事者間に争いのない事実か、又は証拠上容易に認められる事実(その場合は、<>内にその認定証拠を掲げた。)である。

1 原告は、昭和二五年七月一八日生まれの男性である。

被告東京都は、警視庁を設置管理する地方公共団体であり、被告乙山は、昭和七年七月一日生まれの男性で、昭和五七年当時、警視庁公安第一課に所属する警察官(警部補)であった。

2 昭和五七年一〇月一二日、原告は、丙川松夫、丁原竹子及び戊田梅夫と共に、東京都町田市《番地略》甲山二〇五号室において、公務執行妨害及び傷害事件の被疑者として警視庁公安第一課に所属する警察官(警部)の前田武夫により現行犯逮捕された。

同月一三日、警視庁公安第一課課長は、右原告ほか三名の公務執行妨害及び傷害事件を東京地方検察庁検察官に身柄と共に送致した。

同月一四日、東京地方検察庁検察官は、東京地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留請求を行い、原告については警視庁丸の内警察署を勾留場所とする勾留状の発布を受け、その執行として原告を同署に勾留した。

同月二三日に勾留延長の許可がされ、同月三〇日(勾留満期日)に原告は釈放されたが、同日、警視庁公安第一課課員は犯人隠匿事件の被疑者として原告を逮捕し、同年一一月一日、警視庁公安第一課課員は、原告の右犯人隠匿事件を東京地方検察庁検察官に身柄と共に送致した。

同月二日、東京地方検察庁検察官は、東京地方裁判所裁判官に対し、原告の勾留請求を行い、警視庁本部を勾留場所とする勾留状の発布を受け、その執行として、原告を同本部に勾留した。

同月一一日、東京地方検察庁検察官は、原告を犯人隠匿罪で起訴した。

3 同年一〇月一二日から同月三〇日までの間、被告乙山は、警視庁公安部所属の警察官と共に原告の取調べを行っており、被告乙山は右取調べの担当者の中で責任者としての地位にあった。

4 原告が公務執行妨害及び傷害事件の被疑者として勾留中であった同月二七日午後一時四〇分ころから、東京地方裁判所刑事部第三〇七号法廷において、原告及び丙川松夫に対する勾留理由開示公判が行われた。

右公判には、弁護人として、弁護士一瀬敬一郎、同松井茂樹、同幣原廣及び外三名の者が出席した。

同日午後五時過ぎころ、右公判は終了し、原告は手錠をかけられ、腰紐が施された状態で、押送の警察官によって東京地方裁判所刑事庁舎・東京簡易裁判所庁舎(以下「地裁刑事庁舎」という。)の地下一階まで連行された。

5 右当時、地裁刑事庁舎の地下一階の北西側には、勾留質問室、接見室、独房(以下「看護室」という。)、検査室、拘置室、小同行室及び大同行室、警官詰所などの施設があった。その位置関係の概要は、別紙図面一のとおりであり、看護室付近の状況は、別紙図面二のとおりであり、看護室の隣に検査室があって、看護室の扉は鉄製の扉に針金網入りのガラスが扉の窓に用いられており、検査室の扉は木製で波形模様入りガラスが扉の窓に用いられていた。

<本訴における検証の結果>

6 同日午後五時過ぎころ、地裁刑事庁舎の地下一階にあった警官詰所前の廊下で、原告は、押送の警察官から、被告乙山及び警視庁公安第一課に所属する警察官(巡査)であった甲田一夫(以下「甲田」という。)に引き渡された。

7 被告乙山は、同裁判所の地下から原告を連行して同日午後五時二〇分過ぎころ丸の内警察署に到着した。

被告乙山は、原告をいったん留置場に入れた後、午後六時二〇分ころから午後八時三〇分ころまで取り調べた。この際、従前と同様に、原告は完全黙秘を続けていた。

8 同月二八日午後一時四〇分から約一五分間、原告の弁護人であった幣原廣弁護士は、丸の内警察署接見室で原告と接見し、同日午後二時ころ、丸の内警察署警備課に赴き、被告乙山が原告に対し暴行をした旨の抗議をした。

同日午後四時ころ、原告の弁護人であった成田光子弁護士が、前田武夫警部に対し、原告が被告乙山に暴行され傷害を受けた旨の電話をかけたところから、前田警部は丸の内警察署に赴き、被告乙山から事情を聴取した。

同日午後七時三〇分ころから、丸の内警察署嘱託医の馬場照雄医師は、丸の内警察署において原告を診察した。

三  争点

1 昭和五七年一〇月二七日午後五時過ぎころ、東京地方裁判所の地下において、被告乙山が職務を行うについて原告に暴行を加えて傷害を負わせたか。

(一) 原告の主張

(1) 前記二6のとおり、原告が被告乙山及び甲田に引き渡された後、被告乙山及び甲田は、腰紐と手錠をした状態で原告を地裁刑事庁舎の地下一階の看護室前まで原告を連行した。その際、原告の腕が看護室の隣にあった検査室の扉に軽く触れた。

(2) すると、原告の後ろにいた被告乙山は、「何をするんだ。」と怒鳴り出し、原告を右看護室内に押し込んで壁に押しつけ、左手で原告の右前頭部の頭髪をつかみ、強烈に二、三回前後に揺さぶった。次に、被告乙山は、右手で原告の咽頭部をわしづかみ状に強く握り締め、頚部を強く締め上げ、壁を背にした原告をつるし上げた。

右行為の後、被告乙山は、いったん右手を緩めて、原告に対し、「謝れ、謝れ」と怒号し、更にもう一度右手で原告の左側頭部の頭髪をつかんで、強く二、三回前後に揺さぶった。その直後、被告乙山は、右手で原告の咽頭部をわしづかみにして右手をくい込ませるようにして強く締め上げ、原告を数秒間つるし上げるようにした。

この際、甲田は、腰紐をつかんだまま、原告の横に立って、被告乙山の行為を傍観し、被告乙山の行為を黙認していた。

(3) 被告乙山に頭髪を強く揺すられたことにより、原告は、{1}首の後部及び上背部の強い筋肉痛及び{2}外傷性頚部症候群の傷害を負い、被告乙山に咽頭部を強く締め上げられたことにより、{1}左頚部二箇所の長さ三ないし四センチメートルの挫創及び{2}赤色の斑点状の内出血の傷害を負った。

(4) 被告乙山の暴行行為及びこれを黙認した甲田の行為は、国家賠償法一条一項の適用上違法な行為である。

(二) 被告らの主張

(1) 前記二6のとおり、原告が被告乙山及び甲田に引き渡された後、甲田が原告の前に位置し、腰紐の先端を右手で持ち、被告乙山が原告の後に位置し、腰紐の結び目付近を左手で持ち、看護室に連れていこうとしたところ、看護室の手前にある検査室(前記二2の戊田梅夫が入室していた。)前まで来た時、原告が施錠された両手を胸の前にあげ、両手こぶしで検査室の入り口扉を二回たたき、同室に向かって「オーイ、オーイ」と呼びかけた。

(2) 被告乙山は、原告の右行為は秩序の維持を乱す行為であるのみならず、検査室内の戊田梅夫との意思疎通をはかるための行為ではないかと考え、原告に対し、「何をする。やめろ。」と言うと共に、左手で腰紐を引っ張り、検査室の扉から引き離そうとしたところ、原告は、被告乙山の方に向きを変え、両手を上下左右に振り、右ひじで被告乙山の胸部を強くついた上、被告乙山の前襟につかみかかった。

そのため、被告乙山は、原告の暴行を制止するため、右手で原告の上腕部付近を押さえ、看護室の扉の手前の壁に原告を押しつけ制止したところ、原告は暴れるのをやめた。

そこで、被告乙山は、原告に対し、「何をする。つまらないことはやめろ。」と言いながら、甲田に看護室の扉を開けるように指示し、原告を入室させた後、室内の畳の上に腰を下ろさせた。

(3) 右のとおり、被告乙山は、原告の秩序を乱す行為等を制止したことはあるものの、原告の主張するような暴行を加えたことはない。

仮に、原告の受傷が被告乙山の行為によって生じたものであるとしても、右行為は原告の暴行行為を制止するために取られた妥当な措置であって、適法な行為である。

2 被告東京都が原告に対し、被告乙山の職務上の行為について国家賠償法一条一項に基づき損害賠償義務を負う場合に、被告乙山が原告に対し、不法行為に基づく損害賠償義務を負うか。

3 損害額

(一) 原告の主張

被告乙山の不法行為により、原告が被った精神上の苦痛を慰藉するための金額としては五〇〇万円が相当であり、右不法行為と相当因果関係のある本件訴訟の弁護士費用としては一〇〇万円が相当である。

(二) 被告らの主張

原告の主張を争う。

第三  当裁判所の判断

一  判断の前提として、争いのない事実、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1 昭和五七年当時、原告は、中核派に所属しており、同年一〇月一二日に原告が公務執行妨害及び傷害事件の被疑者として丙川松夫、丁原竹子及び戊田梅夫と共に逮捕された後、警察において原告の取調べを担当したのは警視庁公安第一課所属の警察官であり、被告乙山は、その中で責任者としての立場にあった。

原告は、警察及び検察での取調べに対し氏名を含めて黙秘を続けていた。

2 同月二七日午後一時四〇分ころより、地裁刑事庁舎の三〇七号法廷において、原告及び丙川松夫に対する勾留理由開示が行われることになり、同日午前一一時三〇分ころ、原告は、被告乙山、甲田及び警視庁公安第一課に所属する警察官(巡査部長)であった永野(以下「永野」という。)らにより、勾留場所であった丸の内警察署から地裁刑事庁舎地下一階に乗用車で連行され、看護室に入れられた。この際には、被告乙山、甲田及び永野の三人のうち、常時二人が右看護室内で原告を監視しており、一人は室外にいた。

3 午後一時前ころ、原告は、弁護人との接見のため看護室を出て、午後一時三〇分ころ接見室から戻り、被告乙山らは、看守係員から、原告を受け取り、原告に腰紐を施して看護室に入れた。その後、被告乙山らは、看守係員から、勾留理由開示公判が開始されるとの連絡を受け、原告を地裁刑事庁舎の地下一階の廊下で看守係員に引き継いだ。

勾留理由開示公判で、原告は、頚部の傷を問題にするようなことはなかった。

4 午後五時過ぎころ、地裁刑事庁舎の地下一階の廊下で、原告は押送の警察官から被告乙山及び甲田に引き渡された。この際、原告は前で手錠をかけられ、腰紐(手錠と結びつけられている。)を施された状態であった。

その直後、原告と被告乙山は、看護室付近でもみ合いのような状態となった(場所及び態様は、本件における最大の争点であり、後に検討する。)が、甲田がこれに介入することはなかった。

5 被告乙山が看護室内に入っていた際、永野から車の準備ができたと連絡があり、被告乙山、永野及び甲田らは、原告を乗用車で丸の内警察署まで連行し、同日午後六時二〇分ころから八時三〇分ころまで、被告乙山は、甲田立会いの上、原告の取調べを行ったが、原告は、黙秘を続け、被告乙山に対し、暴行行為について抗議するようなことはなかった。同日夜、原告は、ほかに三、四人が収容されていた留置場(二号室)に戻された。

6 同月二八日、午前一〇時三〇分ころから午前一二時ころまで、丸の内警察署において、被告乙山は、原告の取調べを行った。

その後、同日午後一時四〇分から一五分間、幣原廣弁護士は、丸の内警察署接見室で原告と接見し、原告から、被告乙山に暴行され、頚部に傷を受けた旨を告げられ、同日午後二時ころ、幣原廣弁護士は、丸の内警察署警備課で、被告乙山が原告に対し暴行をした旨の抗議をした。

同日午後四時ころ、成田光子弁護士が、前田警部に対し、原告が被告乙山に暴行され傷害を受けた旨の電話をかけたことから、前田武夫警部は、丸の内警察署に赴き、被告乙山から事情を聴取し、同日午後七時三〇分ころから丸の内警察署嘱託医の馬場照雄医師が丸の内警察署で原告を診察した。

7 同日、原告は、弁護士一瀬敬一郎、同松井茂樹及び同幣原廣を代理人とし、被告東京都を相手方として、東京地方裁判所に対し、証拠保全(検証)の申立て(昭和五七年(モ)号一五七六〇号として係属)を行い、同月二九日、同裁判所は、証拠保全の決定を行い、同日午後三時から、同裁判所は、丸の内警察署で原告の頚部を目的として検証を行った(当裁判所に顕著な事実)。

二  原告の受傷の客観的状況について

1 証拠保全における検証の結果によれば、昭和五七年一〇月二九日午後三時の段階で、原告の左前頚部には、赤色の棒状でかさぶたのように盛上っているような左右方向にのびる傷跡が上下に二本あり、上方の傷跡の長さは、およそ二センチメートル、下方の傷跡の長さは、およそ一・五センチメートルであり、更にその下一・五ないし二センチメートル下方に赤色の斑点状のものが二箇所あり、原告の左前頚部の状況の概要は、別紙図面三のとおりであったことが認められる。

2 前記一のとおり、同月二七日に勾留理由開示公判が開かれた際には、原告は、頚部の傷等を問題にしておらず、原告の頚部の傷が問題にされはじめたのは、同月二八日午後一時四〇分に原告が幣原廣弁護士と接見して以降であることからすれば、前記1の傷害(以下「本件傷害」という。)は、同月二七日の勾留理由開示公判終了後から同月二八日午後一時四〇分までの間に生じたものであると認められる。

そうすると、本件傷害が生じた原因として考えられるのは、前記一4の原告と被告乙山のもみ合いであり、ほかに本件傷害を生じさせるような原因について主張立証はないから、本件傷害は、前記一4の原告と被告乙山のもみ合いの際に生じたものと認めるのが相当である。

三  前記一4のもみ合いの状況等についての原告と被告乙山の本人尋問における供述の対比

1 原告は、その本人尋問において、概要、次のとおり供述している。

(一) 原告が被告乙山及び甲田に引き渡された後、甲田は原告の前を歩き、被告乙山は原告の後を歩いて地裁刑事庁舎の地下一階の看護室の手前まで原告を連行した。

(二) 原告は、検査室内に仲間がいるのではないかと思い、看護室の隣にあった検査室の扉を二回ほどたたいたところ、突然、原告の後方にいた被告乙山は、「何をするんだ。」と怒鳴り、原告を看護室内に連れ込んだ。

(三) 看護室内で、被告乙山は、原告を壁に押しつけ、{1}左手で原告の右前頭部の頭髪をつかみ、二回上下に強く揺さぶり、{2}右手でつめを立てるようにして原告ののどをわしづかみにしてぐっと上に持ち上げ、「謝れ、謝れ」と言った。原告が、体を壁の方から離し、半歩ほど前の方に向かうと、被告乙山は、{3}更にもう一度右手で原告の左側頭部の頭髪をつかんで、強く三回上下に揺さぶり、{4}その直後、再び右手で原告ののどをわしづかみにしてぐっと上に持ち上げた。

(四) 被告乙山の暴行は、殺されるかもしれないと思わせる程度のものであったが、叫べばまた被告乙山から暴行を加えられる可能性があり、抵抗すれば公務執行妨害・傷害で逮捕される恐れがあるので、ずっと完全黙秘を通してきたこともあり、暴行の後は、被告乙山をにらみつけ、甲田の指示にしたがって、看護室の奥に腰を下ろした。

(五) 同日夜丸の内警察署で行われた、被告乙山による取調べの際、被告乙山は原告の頚部の傷に気づいた様子で、取調べの際も横を向いていたが、原告は完全黙秘を続けた。

2 被告乙山は、その本人尋問において、概要、次のとおり供述している。

(一) 看守係員から、原告を受け取り、甲田が腰紐を持って原告の左やや前に、被告乙山が腰紐を持って原告の右やや後方に立ち、原告を検査室の前まで連れていった。

(二) すると、原告は、右を向いて、「おいおい」と言いながら、握りこぶしにした両手をあごの付近まで上げて、伸び上がるようにして、検査室のガラス戸をたたいた。被告乙山は、原告が検査室内にいる共犯者と連絡を取ろうとしているのではないかと考え、腰紐の後ろを引っ張りながら、「何をする。やめろ」と言って、原告の両手を押さえようとした。

(三) 原告は、手を振って被告乙山の方を向いたため、原告の右ひじが被告乙山の胸にあたり、続いて原告は、握りしめた両手のこぶしで被告乙山の方の胸を突いてきた。被告乙山が「何をする。やめろ。」と言って原告の胸元から鎖骨付近のところへ右手を開いてあてて、検査室と看護室の間の壁に原告を押しつけ、「何をするんだ。ばかなことはやめろ。」と言い聞かせたところ、原告は、力を抜いて両手を下げたので、被告乙山も押さえていた右手を離した。この際、被告乙山は、原告の首をつかんだことはない。被告乙山としては、原告の首に傷が生じた原因はわからない。

(四) その後、被告乙山は、甲田に看護室の扉を開けるように指示し、原告を看護室の畳の上に座らせた。

(五) 同日夜に丸の内警察署で、被告乙山は原告の取調べをしたが、原告は黙秘を続けており、この際、被告乙山は、原告の頚部に傷があることは気づかなかった。原告の頚部に傷があることに気づいたのは、同月二八日の午後六時ころ、前田武夫警部から電話で連絡があり、原告の首を観察した際である。

四  争点1に対する判断

1 原告の前記供述によっても、原告は、検査室内に仲間がいるのではないかと思い、看護室の隣にあった検査室の扉を二回ほどたたいたというのであるから、被告乙山が原告と検査室内の仲間の通謀を制止しようとしたことそのものについては合理性があるということができ、前記一4のもみあいは、右制止行為に端を発するものであることは、原告及び被告乙山の前記各供述からして明らかである。

前記二2のとおり、本件傷害は、原告と被告乙山の右のもみ合いの際に生じたものであり、本件傷害が被告乙山の何らかの行為に起因することは明らかであるが、その際の状況に関する、原告と被告乙山の本人尋問における供述内容は、前記三のとおり対立している。

2 そして、原告と被告乙山の各本人尋問における供述は、いずれも地裁刑事庁舎地下一階の客観的状況(前記第二・二5)と矛盾するものではないが、また、これを直接裏付けるに足りる的確な証拠もなく、しかも、右各供述には、次のとおり、疑問を感じざるを得ない部分がある。

(一) 原告は、前記三1(三){1}ないし{4}の被告乙山による暴行は、殺されるかもしれないと思わせる程度のものであったと供述しているが、仮に、本件傷害が被告乙山の暴行により生じたものであったとしても、本件傷害の客観的状況からして、右傷害を与えた被告乙山の暴行が原告に殺されるかもしれないなどの印象を与えるものでないことは明らかであり、原告の本人尋問における供述態度にも照らせば、身柄の拘束を受けた被疑者が拘束をする警察官の行為の違法性を強調する心情は理解できるものの、その供述は明らかに誇張を含むものであるといわざるを得ない。

(二) 他方、被告乙山は、原告の胸元から鎖骨付近のところへ右手を開いてあてて、検査室と看護室の間の壁に原告を押しつけたと供述するのみで、本件傷害が生じた原因について何ら合理的な説明をしておらず、また、自らが原告の取調べを行いながら、原告の頚部にある一見して明らかな本件傷害について前田武夫警部から連絡があるまで気づかなかったという被告乙山の供述も不自然であるというほかない。

3 右のとおり、原告の供述にも、被告乙山の供述にもいずれにも問題があるが、{1}本件傷害が被告乙山の何らかの行為に起因するにもかかわらず、被告乙山がこれについて合理的な説明をしていないこと、{2}証拠保全における鑑定で、鑑定人森修医師が、昭和五七年一一月五日に原告を診察した結果に基づき、原告の頚部の傷は加害者が原告の首を強くつかむようにした際に加害者の指及び爪によりつけられたものと考え得るとの見解を示していることを考えれば、原告の供述のうち、少なくとも、被告乙山が原告の首を強くわしづかみにしたという部分は、信用できるものというべきであり、前記一、二の事実及び原告の右供述によれば、同年一〇月二七日午後五時過ぎころ、地裁刑事庁舎地下一階の看護室付近で、被告乙山は、原告の首を強くわしづかみにし、その結果として本件傷害を負わせたものと認められ、これに反する被告乙山の供述は採用することができない。

なお、この点について、《証拠略》によれば、前記一6のとおり、同日午後七時三〇分ころから原告を診察した馬場照雄医師は、原告の頚部の傷は、表皮擦過のみであり、真皮に達する掻把ではないと診断したことが認められるが、原告の頚部の傷が真皮に達する掻把ではなかったことから、直ちに、被告乙山が原告の首をわしづかみにしたことはないということはできないから、同医師の診断は右認定を妨げるものではない。

4 また、原告は、被告乙山に頭髪を強く揺すられたことにより、原告は、{1}首の後部及び上背部の強い筋肉痛及び{2}外傷性頚部症候群の傷害を負ったと主張し、《証拠略》によれば、昭和五七年一〇月三〇日に原告を診察した東京警察病院整形外科の宮崎貞二医師は、原告について全治一〇日間を要する頚椎捻挫と診断したことが認められ、証拠保全における鑑定で、鑑定人森修医師は、昭和五七年一一月五日に原告を診察した結果に基づき、原告の上背部筋肉痛及び外傷性頚部症候群は、頚髄損傷及び神経根損傷を原因とし、全治二週間を要するとの見解を示している。

しかし、宮崎貞二医師の診断及び鑑定人森修医師の鑑定意見は、原告の愁訴を主な根拠としていることがその内容からして明らかであるが、原告の供述内容に明らかな誇張が含まれていることは前記2に判示したとおりであって、原告の愁訴を主な根拠とする右診断結果及び鑑定意見には、その限りで疑問が生じるものといわなければならない。

そうすると、被告乙山が原告の頭髪をつかみ上下に揺すったとの原告の本人尋問における供述は、被告乙山が原告の頚部付近に対し、制止等のため何らかの実力行使をしたことは容易に推測されるものの、原告の首の後部及び上背部の強い筋肉痛や外傷性頚部症候群の傷害を負わせるような暴行を加えたとする部分については、これを裏付けるに足りる的確な証拠はないものといわざるを得ず、右供述は、反対趣旨の被告乙山の本人尋問における供述に照らすとこれをそのまま信用することはできない。

5 そこで、被告東京都の責任について検討する。

前記3のとおり、昭和五七年一〇月二七日午後五時過ぎころ、地裁刑事庁舎地下一階の看護室付近で、被告乙山は、原告の首を強くわしづかみにし、原告に本件傷害を負わせたのであるが、被告乙山の右暴行行為に至る経緯及び暴行が行われた正確な場所(原告の供述によれば看護室内であるが、被告乙山の供述を前提とすれば、看護室前の廊下ということになろう。)については、原告と被告乙山の本人尋問における供述内容が前記三のとおり対立している。

右の点については、被告乙山が右暴行行為を否定する供述をしていることからすれば、原告の供述の方が信用性が高いとも考えられるのであるが、原告の供述を裏付けるに足りる証拠はなく、前記2のとおり、原告の供述に明らかな誇張が含まれていることを考えると、原告の供述もそのまま信用することはできず、結局、被告乙山の右暴行行為に至る経緯及び暴行が行われた場所については、確たる認定をすることは困難である。

しかし、前記一のとおり、右当時、原告は、前で手錠をかけられて腰紐を施された状態だったのであり、その身体を自由には動かせなかったはずであって、被告乙山が供述するところによっても、看護室前の廊下での原告の行為は、握りしめた両手のこぶしで被告乙山の方の胸を突いてきたという程度にすぎないのである。

そうすると、仮に、被告乙山の供述するとおり、原告の抵抗があったため原告を制圧する必要があったとしても、被告乙山が手錠をかけられ腰紐を施された原告の首を強くわしづかみにし、本件傷害を負わせた行為は、必要とされる限度を超えた不相当な実力行使であったというべきであり、被告乙山の行為は原告の暴行行為を制止するために取られた妥当な措置であるとの被告らの主張は採用することはできない。

したがって、いずれにせよ、被告乙山の右暴行行為は、その職務を行うについて行われた違法な行為であるといわざるを得ず、被告東京都は原告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、原告に生じた損害を賠償する義務があるというべきである。

五  争点2について

公権力の行使に当たる地方公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、地方公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解さざるを得ない。

したがって、被告乙山の不法行為をもって、被告乙山が原告に対し、不法行為に基づく損害賠償義務を負うとの原告の主張は、採用できない。

六  争点3について

前記一ないし三認定の事実、当裁判所に顕著な事実によれば、被告乙山の暴行行為は身柄拘束を受けた弱い立場にある原告に対し、正にその身柄拘束の衝に当たる警察官が行った行為であって、強く非難されるべきであり、他方、そもそも被告乙山の制止行為には、合理的な事由があり、原告の受けた傷害の程度も結果的には幸いにも比較的軽微であったということができるほか、本件訴訟が必ずしも原告の責に帰することのできない事情によって、約一〇年間もの期間審理が中断して長期化し、原告の権利救済が遅延しており、その間の無念を訴える原告の心情は十分理解できること、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告に生じた精神上の苦痛を慰藉するための金額としては一〇万円が相当であり、本件訴訟の弁護士費用としては、本件訴訟追行の困難性を考えると、必ずしも認容額を有力な基準とはし得ないこと(もっとも、認容額を超えることも相当ではない。)などを総合斟酌すると、一〇万円をもって被告乙山の不法行為と相当因果関係のある損害というべきである。

第四  結論

以上によれば、原告の被告東京都に対する請求は、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求として、二〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五七年一〇月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるが、その余の部分については理由がなく、原告の被告乙山に対する不法行為に基づく損害賠償請求は理由がない。

なお、原告は、仮執行の宣言を求めるが、必要であるとは認められないから、これを付さないこととする。

(裁判長裁判官 塚原朋一 裁判官 大熊良臣 裁判官 奥山 豪)

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